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末満健一書下ろし・新作短篇小説「頂点捕食者」

あれはまだ私たちが繭期を迎えてクラン(繭期の吸血種を収容するための施設)に入る前の話だ。
当時のクラシコ家の当主、つまりはディーノ・クラシコの父親は跡継ぎ問題に頭を悩ませていた。
すでに越繭してクランを出たふたりの兄がふたりして「クラシコ家を継がない」という意思を表明したからだ。
曰く、これからは貴族ではない生き方をしていくのだという。
ふたりの兄たちを父親は「放蕩息子め」と罵ったが、それで変わる状況ではなかった。
父親はふたりの兄たちよりも優秀な三男坊を自分の跡取りとすることを心に決める。
ふいに湧いて出た跡継ぎ問題ではない。
幼少の頃からディーノのふたりの兄は、跡継ぎとしての自覚を持てなかった。
しかしそれは、運命や重責から逃れるためではない。
ふたりの兄はディーノこそがクラシコ家の当主に相応しいと思い知らされており、彼に当主を継がせるために敢えて放蕩息子を演じているきらいがあったのだ。
クラシコ家の行く末を想うからこそ、ふたりの兄は身を引いたと言える。
それについては、ディーノ自身の幼い頃からの不遜な態度が起因していることは間違いない。
年上であるふたりの兄たちより秀でた学習力は言わずもがな、貴族としての気品と傲慢さ、そしてなによりその内に秘めたるカリスマ性──ディーノにはそれらを以てして、周囲に対してある種の敗北感を与える傾向があった。
屋敷にいるふたりの兄たちは、常に敗北者の感情を抱き続けたのだろう。
心が折れた者に名門クラシコ家の当主の座が務まるはずもない。
兄たちはもちろんのこと、当主である父親ですらディーノに対して畏怖にも似た感情を抱いていた。
彼には優しさや思いやりといった、感情の、正負でいうなれば正の側面が欠如しているように見える。
それを証明するかのようにふたりの兄だけでなく、屋敷の使用人たちもまた、ディーノの非凡さに対する敗北感に幾度となく打ちのめされていた。
ディーノはさも当然とばかりの振る舞いで誰も敬うことはせず、どれほど腫れ物扱いされようとも彼がそれを意に介することもなかった。

両親が共にクラシコ家に住み込みで仕える身であり、私自身もディーノの世話係として仕え、傍らで跡継ぎ問題を見つめ続けてきた。
ふたりの兄が「クラシコ家を継がない」と意思表明した折も、ディーノはまるでそうなることがわかっていたかのように、どこか諦観した様子で次期当主の座を引き受けたのだ。
次期当主になると決まったあと、彼が一度だけ家出をしたことがある。
屋敷中が大騒ぎとなったが、三日後に何食わぬ顔で彼は帰って来た。
その表情から、次期当主の座を引き受けた時の諦観が消えていたことを覚えている。
あれはふたりの兄を差し置いて自分が次期当主となることの、彼なりの通過儀礼だったのかもしれない。

彼の中でのヒエラルキーは明確だった。
クラシコ家の頂点捕食者──私はそんな様子を見て、屋敷に巻き付くほどの巨大な蛇を頭に浮べたものだ。
ちなみに蛇は、クラシコ家の家紋にも施されている守護獣だ。
兎にも角にも、クラシコ家の屋敷は幼いディーノの支配圏だった。
そんなディーノであったが、不思議なことに私に対してはどこか対等に接するような態度であった。
同年代である、ということが理由では恐らくないだろう。
これは推論に過ぎないが、私がディーノに対してなんら怖れを抱いていなかったことが、等しい関係を生んだのかもしれない。
私は、自分が彼の捕食対象ではないことが少し誇らしくもあった。
彼は私を「アルブレヒト」と呼び、私にはふたりでいる時に限り自分を「ディーノ」と呼ぶように命じた。
屋敷の中で彼に名前を呼んでもらえるのは私ひとりだった。


繭期を迎えたのは私の方が先であったが、当主であるディーノの父親の意向により、ディーノが繭期を迎えるのを待ってから私たちは同じクランに入ることになる。
ディーノのお目付け役といったところだろう。
クランにおいても、ディーノを取り巻く状況は屋敷と同じであった。
同級生だけでなく上級生やティーチャーたちも、ディーノを恐れた。
彼はクランでも頂点捕食者であった。私に期待された役目は、そんな彼が周囲と折り合いをつけるための緩衝材である。
同級生たちはディーノに媚びへつらいながらも陰では「蛇みたいなやつ」と呼んでいたが、言い得て妙だと感心したものだ。
蛇は即ちクラシコ家の象徴なのだから。

ディーノはクランでも、周囲に対して敗北感を与え続けていた。
無論、そんな彼に友人などまともに出来るはずもなく、彼は常に孤立していた。
先に繭期を迎えた私がディーノの繭期を待たされたのも、このことを彼の父親が危惧したからかもしれない。
だが私がおらずとも、彼が孤独に苛まれることなどなかったはずだ。
孤独とは私からすれば、彼の牙を研ぐためにある研磨剤のようなものである。
繭期を迎えてクランに入り越繭するまでの五年間、ずっとそんな調子だった。
ディーノはいつだって孤立し、孤独であり、孤高であり続けた。
私はその傍らで、彼と世界が折り合いをつけるための緩衝材の役割を上手く務められたと思う。


越繭してクランを出たあと、ディーノは二年制の貴族教育院に進学する。
そこで優秀な成績を修めた者は、吸血種の統治機関である血盟議会において所謂キャリア組と呼ばれることになる。
私はクラシコ家の屋敷に戻り、いずれディーノの執事を務めるための教育と訓練を受けることになる。
全寮制のクランとは違い、貴族教育院に寮はない。
大抵は近くに常宿を用意するか、屋敷から通うかである。
クラシコ家の屋敷は貴族教育院からそう遠くはなかったため、ディーノは屋敷から通うこととなった。
貴族教育院でも、きっとディーノは頂点捕食者として孤立し、孤独であり、孤高なのだろうと疑いもしていなかった。
ところが実際は違った。
貴族教育院に通う日々が始まってから、しばらく経った日のことだ。
ディーノが愚痴のようなものを零すようになった。
幼い頃から彼を見続けてきたが、そんな様相を見せるのは初めてのことで私は戸惑ってしまった
。クランでは常に成績トップで他の追随を許さなかったディーノが、「万年三位」という屈辱的な暴言を受けたらしいのだ。
ディーノの上にふたりもいるということが信じられなかった。
話を聞くと、ディーノよりも優れた成績を修めているのはデリコ家のダリ、フラ家のゲルハルトという者らしい。
どちらもディーノと同じ特級貴族であり、家格ではクラシコ家をも上回る名門の血筋だ。
他にもエンリケ・ロルカという者がなにかとディーノに絡んでくるらしかった。
ディーノの口からは特に、ダリ・デリコに対する怨念めいた愚痴を聞くことが多かった。
これまで頂点捕食者であったディーノすらも喰らう者たちがいる。
上には上がいるということは概念として知ってはいたが、ディーノに上がいることが私には俄かに信じられなかった。
ダリ。ゲルハルト。エンリケ。ディーノは彼らに自分の調子を崩されてしまうことに腹を立てていた。
だが、私にはそんな彼がどこか楽しげにも見えた。
私が思うにダリやゲルハルトやエンリケも、きっとディーノと同じように孤立し孤独であり孤高なる者たちなのかもしれない。
あくまで従者である私には立ち入ることができないディーノの領域に、彼らが足を踏み入れてくれたことがどこか寂しくもあり、同時に嬉しくもあった。
幼い頃から周囲に敗北を与え続けてきた彼が敗北を知り、頂点捕食者ではなくなった。
私にはそれが大いなる進歩に思えてならなかったのだ。

「なにを笑っているのだ、アルブレヒトよ?」

ディーノに突然そう言われて、私は自分が笑みを浮かべていたことに気づいた。
ダリたちについて愚痴るディーノの姿が新鮮で、微笑ましかったからかもしれない。

「これは失礼しました、旦那様」

「旦那様などとこそばゆい。これまで通り、ディーノでいい」

「そういうわけにはいきません。あなたはいずれクラシコ家の当主となるお方なのですから。越繭する前ならお坊ちゃまとお呼びできましたが、これからは旦那様と」

「現当主は未だ父だ。私が当主の座を継ぐまではこれまで通りにしたまえ」

今度は自分でも弁えながら笑みを浮かべた。彼の変化と成長に対する安堵を籠めて。

「わかったよ、ディーノ」

彼を「旦那様」と呼ぶのは、その日が来る時まで取っておこう。
それまでは彼は私にとって「ディーノ」であり、この屋敷で唯一の友人なのだ。